医学の勉強って

「医療政策」入門―医療を動かすための13講

「医療政策」入門―医療を動かすための13講

p.274

医学教育が抱えるさまざまな課題

日本の医学部では学生の医師国家試験取得に向けて、様々な努力をします。たとえば、医学生の成績を維持するために「授業の8割に出席しないと進級させない」との決まりを作ったり、ほとんどの大学で授業の出欠までとります。米国でこの話をすると、医学関係者は皆さん驚きます。医学生は勉強するのが当たり前で、成績の維持が自己責任である彼の国では、考えられない状況だからです。

以下、
・受験で燃え尽きる医学生
・米国の医学校試験は面接重視(アメリカでは学生自身がローンを組んで学費を払うこ

ともここで述べられている)
・今がメディカルスクール導入の時期
についても述べられている。

さて医学部学生が勉強しないのはなぜか?


1、学部の先生が学生に「勉強しないで社会勉強」と言っている説
2、燃え尽き症候は本当か?
3、医学部の勉強が魅力的でない?

私見

 本来的には医学部の勉強は
医者になって患者を助ける、
社会に対して医学的見地から貢献をする
ためにする。勉強している本人にとっては、その道で食べていくためである。

しかし学部に入って4年間くらいは、そういったことを考えれば誰でもわかるのだが実感がわかない。進級するには試験を通せばよい。試験に通るのはみんなと同じようなことをほどほどにやれば簡単にできてしまう。まったくもって難しい話ではない。その目的だけなら「出席点が進級の条件」にでもなってない限り、「退屈な」講義にはでなくてもいい。
問題点は、与えれた時間、すなわち2年生なり3年生なりの1年間が学生にとって有効に使えていないことが問題だ。
「学生は勉強よりも社会勉強」あるいは「勉強より遊び」を本音と建前のつかいわけでなく、はっきり提示するのか、そうでなく「やっぱりたくさん勉強して欲しい」のかをもっと考えるべきである。ぎっちり講義のコマが入ってるが学生が来ない状況を「これでよし」とするのかしないのか。講義の時間をどういう時間にしたいのか?「学生の間は勉強そんなにしなくても」と思うなら、授業コマ数を減らして、試験だけきっちりやればよい。

学生が試験のためだけの勉強して「それで終わり」としているのは、試験を通る簡単さとは別の「医学の難しさ」を教え切れていないからだとも思う。どういう風にその難しさに真剣に取り組ませるか、あるいは真剣に取りくまざるを得ない環境を作るか?と考えるのが教員側の役割であるように感じる。「そんなことは現場に出てからだ」と言われれば仕方がないが。不思議なのは「こういう方向を目指す人には○○といったことを是非学んで欲しい」と
いったメッセージがなかなか出されないことである。例えば「どういう医者になるんにしても学んで欲しいこと」、「うちの科に来たい人に望むこと」などがはっきりしない。何でも勉強できればいいのかもしないが、ジェネラルなものとマニアックなものが混在しすぎている。それらを区別するのは学生には難しいはずだし、先輩とかが「あんなん役に立たない」といったらそれこそモチベーションなんてあったものではない。「全部勉強しろ!」というのも大事だが、現状を見る限りそんな何でもできる医者(まったく異なる科の内容でも)がいないのは明らかだ。「忘れてしまってもいいからどの科も
等しく全部勉強する」ことを学生に求めるのか、「最低限押さえて欲しいことだけ」はっきりさせるのか?学生が自分の責任でやるのが筋だし結局はそうなのだが、国家試験さえ通ればよいのなら授業行かなくてもいい人が一定以上の割合で存在するわけで、それを「勝手にしろ」というか、そうでないのかはメッセージとしてあってよいのではないかと思う。そもそも2,3,4年の授業に全然出ていなくても6年生は国家試験のために必死に勉強して通っていっているではないか。低学年のうちの授業は決して国家試験のためではないはず。お互いに時間と労力の無駄をしないことを考えるべきである。
「この授業にいることが自分にとって無駄だ」と判断した学生は、どんどん授業からいなくなる。勉強する気のない学生ははなから授業に来ないかもしれない。結局国家試験で帳尻あわせをしているのではないか。
医学の難しさを考えたい学生は、おそらくごく少数で自分で勉強会をやったり本を探したりして学ぶのかもしれないが、それは日常が「もの足りない」からかもしれない。難しいとされる入学試験を超えた学生たちが、火がつかずにはいられない状況でもっとシビアでよいのかもしれない。

ひたすら受験勉強して燃え尽きた学生に関しては本来は自己責任かもしれない。なぜ受験勉強をひたすらするのかを「やっている最中に」考えずにほかの選択肢を「無意識に」切っていることが多いのではないか。ただその状況をあおる大人もその受験生「同様」悪かっただけの話である。そういった燃え尽きた「もったいない」学生をつくっている状況が日本だと捉えればよいだけで、別に医学部の学生だけを責めても仕方がない。講義に行くことで、その時間必死に一人で勉強しても得られないことがたくさん得られないのであれば、その時間は「もったいない」。教える側、教えられる側の真剣さがイマイチなのが残念な現状だと感じることが多い。

※「退屈」は人によって違うが、残念ながら真面目な学生も含めて90%以上が退屈だと思う授業が存在する(単純にその先生の話が下手な場合もおうおうにしてある、教科書にのっていることを教科書よりわかりにくい形で出されることだってある)のも事実だし、本質的に面白いものでも「興味がない」学生が少なくないのも事実。100%教員側、100%学生側、といった問題ではない。