ガイドライン

医者になってどうする


p.192

少し前から、治療はエビデンスに則って行うべきであるとの考えで、根拠に基づかない医療は選択されない流れになってきた。すなわち、大規模対照試験で有効性が認められた治療を行うべきで、そこには医師の個人的な思考が入り込む余地はない。もちろん。患者の状態で微妙なさじ加減はあるが、多くの疾患でスタンダードな治療法というものが決められてきている。
そうなると、ガイドラインに則った治療を行うことが原則で、「回復するものはするし、しないものはしない」と割り切ることができる。「有効性がある治療にもかかわらず回復しなかったのだから、仕方がない」とさめた考えになってしまう図式が生まれてくる。また、幸い回復した場合にも、「証明されている治療だから、ある意味必然である」と思ってしまう。患者から「先生のお陰でよくなりました」と言われても、却って落ち着かない。
すなわち、「自分で考えた末にたどり着いたこの治療でよくなった」などと感動することは表向きあってはいけないということである。昔の医療であれば味わえた感動が、現代医療ではタブーとされてきている。それが、無感情医師が形成される原因になっているような気もするが、そうしたことが許されなくなってきたのは時代の流れであろう。
今の風潮として「マニュアルだ、エビデンスだ、ガイドラインだ」と、医療の世界では「むしろマニュアル人間と化しろ」という意見が聞かれる。

ガイドラインを信じて疑わない人は、ガイドライン通りやってうまくいかなかったときはどうするのだろうか?
ガイドラインの内容に納得がいかなければ、納得がいかないのにはかわらないのだろう。

ガイドラインとかにのりにくいさじ加減の必要な科は、今後の流れでどういうトレーニングシステムをつくるか?
ガイドラインは、それをきちんと読めさえすればよい。
ガイドラインがないようなもの、皮膚科におけるアトピーの治療や漢方の治療は、上の先生を見よう見真似でやる。おそらく腕の善し悪しがでやすいはず。「普及させる能率」と「繊細な技」は両立させるのが難しいのではないか?