医師増員

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/honda/200911/513225.html

確かに、ある意味雲の上の存在である自分の大学の教授がそう言われるのですから、学生さんが私の主張する医師増員に不安になるのも無理はありません。しかし既に医師不足医学生さんにとっても直接の影響を与える事態にまで悪化していることは認識されているでしょうか。

 第1に、卒後臨床研修の見直し(期間短縮まで含めた)が行われ、皆さんが希望する病院での研修が困難になる可能性が出てきました。第2に、近い将来、地域の医師不足解決のために、強制的に若手医師を地域に派遣することまでが議論の俎上に載ってきています。

 もし、医師を増員しないままに地域派遣が常態となった場合、おそらく派遣された若手医師は、今まで通り、場合によっては今までより厳しく、24時間365日近く拘束され、週休や年休取得も難しいままになるでしょう。それは、交代要員がいないからです。さらに、今の医学生さんが一人前になって活躍するころは、団塊の世代の高齢化によって、今よりさらに医療需要が爆発的に増大します。その上、医療技術の進歩により、今よりさらに高度な医療を、ミスなく提供することが当然のように求められるようになるでしょう。医療安全調査委員会の成り行きによっては、当然のように刑事罰を問われながら…。

医師と働いている身として、これから働く身として、その業種の人が増えた場合、減る場合について想像をめぐらせるのは意味があることだろうと思う。これから研修をする側にとって防衛する方法はないものだろうか?結局のところ行きたくないところに「強制的」に派遣されるのは全員なのか?
自分が行きたくないところに行かずに、自分の働きたい場所で働けるのには、
「行きたいところに行ってよいから医師であって欲しいと思われるような人材になること」
「行きたいところに行けないなら医者やりませんっていう人」
ということになる。
単なる国に行けと言われるから行くにすぎない「派遣労働者」になるのか、
言われるがままにならない存在になるのか?
もっとこれからの存在が意思を示すべきだ。
強制的なんて言葉が出てくるのは、医者は国の言いなりになってくれる存在だとある意味でなめられているからかもしれない。
意思を示した存在が圧倒的な勢力となれば、「強制的」な政策にのっとって動く人材は「それほど優秀でないけれど医師にしかなれなかった人」
ということになる。
不況では「つらくても安定」な医師は高校生から選ばれる職業なのかもしれない。定員を増やした分、学生は増えるかもしれない。でも明るいヴィジョンを誰も示していない中で、なろうと考えた学生をただの労働者としてしか考えていないのだろうか?明るいヴィジョンがないのに、増えた学生は学部を活気あるものにする存在になりうるのか?増やしたくない意図を教育現場の先生が思っているとすれば、「増えた学生をどうにかできる状況が整っていないのに入ってくる人が増えてもしょうがない」ことを感じていらっしゃるのではないか?どういう人を増やしたい?
地方の医療を活性化してやろうと本気で思う人を養成して、地方の医療を再生してくれる人を作ろうとしないで学生を増やしても、いやいや地方に行く人を増やすだけだ。人が増えて競争になるのは活性化の一面だが、一面的な競争の上で勝者、敗者がはっきり
したフォローをできる環境はあるのか?「地方もいいけどやっぱり東京がいいよ」、ではなくて「地方も東京もいいけど、俺は地方が好きだから地方で働く」先生はいらっしゃるはずだ。そういう先生は「(言葉は悪いが)負けちゃって地方にいるんだ」という先生より楽しく生きているに違いない。
そもそも「地方」っていうのが日本では、「若者が寄り付かない場所」になっているというのに、一若者としての卒業したばかりの医者を無理やり地方に行かせるのが間違っている。それなら違う業種についてもフリーターでも何でも地方に派遣すればいい。「医者なら文句を言わないだろう」、という勘違いもあるのかもしれない。
何かの犠牲になっている限り、「品性」を保つのは難しいにちがいない。