キャリアパス?

久々に大学の生協以外の本屋の専門書コーナーに行った。
大学より 「学生が買わないもの」も含めてたくさんあったが、面白い本も見つかるものだ。

[著編者 ・出版社]
著:小鷹昌明
出版社:(株) 中外医学社

『医者になってどうする!』

立ち読みしていて気になった本である。
家に帰ってネットでかけてみるとGoogleAmazonよりも上にMRICがあがっていた。(以下に抜粋)

きれいごとでないことが書いてある本は珍しい。こういった本が売れるのかどうかはわからないが、専門書コーナー以外でもおかれるようになってくるとよいと思う。

医者は自分をどこまで「犠牲」にしなくてはいけない職業なのか??

どの職業でも すべてを得られないとすれば何かが犠牲になる。


医者の場合、
「ありがとう」の言葉、感謝されることあるいは報酬

それらに対する医者の「犠牲」

これのバランスが崩れた状態=医療崩壊における医師崩壊の側面

ということができるだろう。

医療現場が悪くなったのを放っておいたのは、医者の責任だ!という意見もある。立ち読みしたこの本にもあった気がする。



「無理なものは無理です。」

放っておいてどうしようもなくなると、こう言わざるを得ないのだろうが、これを言わなくてもすむものを作らなくてはならない。

日本にある「甘え」を なくさないといけないのかもしれない。


http://medg.jp/mt/2009/08/-vol-199-1.html

臨時 vol 199 「僕は医者になって楽しむ:小鷹昌明 著 『医者になってどうする!』を読んで」医療ガバナンス学会 (2009年8月20日 09:19) | コメント(0) | トラックバック(0)

               東京大学医学部第四学年 森田知宏


ヒポクラテスの誓いが金科玉条のごとくもてはやされ、医者が患者に対して滅私奉公することをさかんに求める。医療を良くするための行動が、自分個人のことよりも優先されるべきであるということは、医者として確かに当たり前かもしれない。しかし、それをどんな医療者にも全員に押し付けることはエゴではないか(誰のエゴなのか、清貧を重んじる医者なのか、いい医療を欲する患者なのか、案外、医療制度の設計者のエゴなのかもしれない)。各個人のできる範囲で、できるだけ医療を良くするべく努力をすればいいのではないか。

 また、医療は持続可能でなければならないとも思う。自分の生きた時代はなんとか持ちこたえられたとしても、次の世代で医療が後退するようなことがあれば、自分の世代が医療を良くしたとは言い難い。誰かの犠牲のもとで成り立つシステムは脆い。医療崩壊についてはさまざまなことが議論されているが、医学生もしくは医学部を目指す高校生が何を考えなければならないかについては、あまり語られていない。彼ら(僕ら)に根性論を振りかざしてみたところで、大半は冷めてしまうし、医師になる道を断念するものもでてくるのではないか。

「皆が大学教授や大病院の院長になれるわけではない。多くの医師は親の後を継いで開業医になるか、一般の市中病院で勤務医として働くか、そのどちらかである。そんなこともわからず大きなリスクを背負って、いつ破滅してしまうかわからない状態で、自分の限界までかけて働いていくのか? あるいは、医療を生業として、自分の手の届く範囲の患者に対してのみ誠実な医療を実践する程度で満足して、一人の人間として楽しい生活を求めていくのか? 現実的には、この二つの狭間で、教授や大病院の院長になれない多くの医師らの心は揺れ動いているのである」

著者は、「医師になるということは、そうした社会の歪みに対してメッセージを伝える気構えを持つことも必要だ」と述べている。「医療者は富裕層と貧困層を分け隔てなく観察する機会の多い職業であり、人間の本音に迫れる部分において、これ以上の仕事はない」と言い、「社会の状況を真剣に捉え、仕組みを変えていけるのは実は医療者だけなのかもしれない」と強調している。僕もそう思う。

http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51647915.html

実は、どの先生も、既存の価値観にとらわれることなく、その小さな枠組みを超えて、行動をしてこられたような先生ばかりなので、講演を拝聴して、自分自身もとても興味深かったぐらいでした。

「医師のキャリアアップというけど、キャリアなんてものは、自分で作るもので、何か用意されたコースを進めば自動的にできあがるようなものではないと思う」