医学教育

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そして、実は、もっと、大事なことが隠れていたことに気付きました。

それは、
基礎医学から学べと言われても、臨床とつながっていないから、意欲がわきません」と、主張する学生の中に、PBL教育に入ると、こんなことを言う学生がいるからです。

「どうして、アスピリンを投与した課題症例の勉強で、シクロオキシゲナーゼのことを調べなければならないのですか?」

同一の学生だったりします。最初は、あれ、と、こちらもびっくりしました。だって、臨床から学びたいと言っていた、熱心な学生だと思っていたからです。でも、違うんですね。
薬理学でシクロオキシゲナーゼを学びたがらず、そして、臨床課題から学ぶPBLでもシクロオキシゲナーゼのことを学ぼうとしない。だったら、いつ、学ぶのかな。

つまり、結局のところ、勉強する意欲がない、ということを言っていることに気付きました。

どうしてかな、と、ずっと、考えて、教育学の本などを読みあさってきましたが、数年前から、気付きました。

医学生の中に、勉強することの目的が、医学の学問の外にある学生がいるからなのです。
「今、自分が勉強するのは、あとで、その知識が役に立つから」
と、信念を持って努力をしているからなのです。

実際、医学という学問は、そういうことを背景に発達してきました。
病苦に悩む患者さんを助けたい、社会の危機を救いたい、と。

だから、そういう医学生の存在自体、当然なのかもしれませんが、私は、この姿勢、態度が進むと、医学という学問を軽んずることになり、そして、その原点にある、患者さんや生命という尊い存在すら軽視する、という態度につながると、このように考えています。
今の若い先生たち、研修医の先生の中に、そういう方、実在しています。本当に、残念なことだなあって、思います。

学問を学ぶ目的は、何でしょうか。

役に立つ、立たないの判断は、本当のところきちんと学び終わってからないと判断不可能である。
きちんと学び終わる前に「これは役に立たないだろう」というのは誤りだ。
「あとでその知識が役に立った」実感を持てないとすれば、「応用が利かなかった」
ことにはならないだろうか?
少なくともアスピリン→シクロオキシゲナーゼの不可逆的阻害
に関して言えば、血小板と血管内皮細胞のプロスタグランジン類の経路の阻害と血小板が核を持たない事実から、
抗血小板作用をもっている。
という風に理解して、患者さんには
アスピリンは血管の中で固まりができるのを防いでくれます」
くらいは説明できないといけないし、医師が「さじ加減」をできるようになるには、解熱剤として使うときの約半分量前後を抗血小板薬としては用いるところまでわかっていなくてはいけない。

さらに言えば、抗血小板薬で習うと教科書には、血小板と血管内皮細胞の話しか書いていないことも多いだろうが、COXなんて全身にある。
薬はある細胞のあるレセプターを狙って作られているけれど、ほかの細胞でどうなのかっていうのまでは全然わかっていないことが多い。
実際のところ知っているのは、「○○は××細胞のreceptor Aを介した作用を持つ」
程度である。
あらたに○○細胞はほかの細胞でも作用していた!
なんてことはどっかの人が見つけてくるかもしれないし、それが重要なものかたいしたことないかは(科学上も臨床上も)今のところはわからない。

医系技官も批判されるし、医者は常識がないと批判される。
どっちも昔は医学部生であった。
そんな彼らも 「医学教育でのひとりごと」のブログhttp://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51643410.htmlにあげられていた学生のように過ごしていたのかもしれない。公衆衛生が日本で弱いのも、「公衆衛生とかそんな役に立たなさそう」とかって思われてきたからかもしれない。
学び方を学ぶ、

なかなかの難問だ。