医学部での教育、先輩を見習うこと、後輩に言うべきこと

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よく、医学部の講義に来られた臨床医の先生などが、学生たちにこんなことを言ってしまうことがあります。

「私は、学生のとき、ほとんど勉強しなかった。自慢じゃないけど」

自慢してもらってはこまります(笑)。

多くの場合、このメッセージは、学生たちにきちんと伝わらず、弊害ばかりが目立ちます。

よく勉強する医学生からは、「またか」と、幻滅をされ、
勉強に身が入っていない医学生からは、「そうなんだ。だったら、大丈夫だ」と。

結局、お互いに何も生まないどころか、かえって、学習意欲をスポイルしてしまう。

なぜ、先輩医師たちは、医学生たちに、こんなことを言いたがるのでしょう。

それは、医学生や医師が、医学という学問を学ぶことについて、歪んだ認識をもっているからです。自分自身もそれを持っていたと思います。そこから生まれる、誤ったサービス精神の発露。

「あとで、役に立つから、勉強しておく」
「あとで、困るから、今、勉強しておけ」

医学部で、医学生が医学を学ぶことが、ロールプレイングゲームの主人公キャラクターが、魔法の呪文や特別な武器を集めて行くような、そんなイメージ。

学問を学ぶ目的が、学問の外にあります。
これは、学問を学ぶ姿勢として、いささか、次元が低いとされています。

もちろん、患者さんのために、医学は発展して来た、と、思います。大きな原動力だと。だから、「病気の人を助けるために、医学部に入って、医師になりたい」と、受験生が面接で言ってくれるのは、悪いことではないと思います。
でも、大学で学問を修める、追究するというのは、もっと、高尚で、次元の高いもののはずなのです。

「わかることが楽しい」
「わからないことを知りたい」

学問の中に、学問を学ぶ目的があることがよい、と、されています。

医学という学問の立脚点、なかなか、難しいものがあります。

今、医者をやっている先生たちは「学生時代講義なんか出なかった」
時代は確実に変化している。その言葉を今に生きる学生は真に受けていいのか?
講義に出た先生と、出なかった先生の後ろ向きコホートをやってみるのはかなり面白いのではないか?結果が怖くて誰もやらない(笑)?


医学部で習うことはかなり広範。
果たして将来内科医になりたい人が、「○○術式」とか、最先端の低侵襲手術とか、どこまで学ぶ必要があるのか?
内科医になってやらなくてはいけないのは、患者さんを診て癌の存在を明らかにすること、きちんと患者さんにお話すること、であって切ることはできない。学部の授業は、「自分の科にきてください」の宣伝なのか??
循環器専門以外でわかるのは、「○○タイプの不整脈」で「××のリスクが高くなる」ことまで。「○○」には、カテーテル・アブレーションがいいとかペースメーカーがいいとかまで判断を迫られることはあるのか??

自分の専門科以外のことをよく知っていることは確かに重要だと思う。「全身」をみるには、臓器ごとにわかれた「科」は対応しきれないことが多いだろう。今の医学教育の問題は、例えばどの科にいっても必要だしsystemicな問題である「電解質のこと」とかと 「○○外科の手術方法」とかが同列に時間割に並んでいるように見えることである。

「卒業するまでに行きたい科はある程度考えなさい。」
昨年言われたことだが、このために各科スペシャルの授業(=うちの科ではこんなことをやってるよっていう宣伝)が行われるのか?
各科スペシャルの授業も好きなのだけ出ればいいのかな?
自分の「コレだ!」を見つけるための時間なのかもしれない。
自分の好きなこと、得意な能力を生かせるところを見つけるのは思いのほか難しい。ある程度 「しっかりと」かじらないとわからない問題ばかりだ。

まあ、講義では何やっててもいいから「CBT,OSCEは通っておいて」っていうスタンスはある意味合理的なのかもしれない。


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