昨日に引き続き「敬愛なるベートーヴェン」に関して

敬愛なるベートーヴェン
http://www.daiku-movie.com/bv.htmlより


耳の聞こえない悲劇の楽聖と呼ばれ、世界中の人々に愛された最も偉大な音楽家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 生涯に渡り、愛を成就できなかった孤独な音楽家の狂気と苦悩を描いた、ベートーヴェン史上最高傑作の映画が誕生した!

 当時、モーツァルトを代表する音楽家の誰もが宮廷や貴族に仕える中、唯一誰にも仕えずに作曲活動を行ったベートーヴェンは、音楽家としてはじめて自立した芸術家であり、孤高の天才音楽家として知られている。しかし、耳が聞こえなくなる病を患うなど、他にもさまざまな持病を抱え、溺愛する甥にも裏切られた彼の私生活は、苦悩に満ちたものだった。
 本作品は、ベートーヴェンの晩年に焦点をあて、史実に基づきながらも、今なお謎とされる3人目のコピストを女性として、”歴史に隠されたもう一つの物語”として描かれる。
”第九”が生み出された背景には、いったいどんなドラマが存在したのであろうか?音楽史上、最大のミステリーに本作は、53歳の孤独なマエストロと23歳の若き作曲家志望の女性が、音楽を創作していく過程で、師弟愛を超越した魂の絆で結ばれていく姿を、濃密に、ウィーンの町を舞台に描かれる最高の音楽ドラマとなっている。
 ベートーヴェンを演じるのは、監督のホランドと「ワルシャワの悲劇/神父暗殺」などでコンビを組んだエド・ハリス。「アポロ13」など、4度のアカデミー賞ノミネート歴を誇る名優が、実在の天才音楽家を演じるのは、自ら監督も兼ねた「ポロック 2人だけのアトリエ」に続いて2度目。本作でも事前に入念な準備を行い、演奏、指揮、作曲のすべての面で完璧な役作りの成果を披露。狂気と純粋さを併せ持ち、音楽家としての苦悩と孤独、耳の聞こえない悲しみを背負ったベートーヴェンが、才能を認め、必要としたアンナという理解者を得ることで、人間として音楽家として成長を遂げていく過程をきめ細かく演じ、演技派の底力を見せ付ける。
 そんなハリスの相手役として、共に映画の格調高いクオリティを支えているのが、「戦場のアリア」でアカデミー外国語映画賞候補になった好演が記憶に新しいダイアン・クルーガー

 彼女が演じたアンナ・ホルツは、ベートーヴェンが心で聞いた音楽を、世界に伝える役目を担ったコピスト(写譜師)。譜面を書き写すだけでなく、修正が加えられるほどベートーヴェンの音楽を深く理解している彼女は、ベートーヴェンの作曲活動に欠かせない右腕となると同時に、彼の孤独を癒し、魂を浄化する天使の役割をも果たすことになる。その一方、女性作曲家を認めない時代に、婚約者との愛に生きるか、音楽家として生きるか、人生の選択を迫られるアンナ。現代女性の共感をも呼ぶ要素を多く持つそのキャラクターをクルーガーは、気品と凛々しさをたたえて熱演、清清しく、毅然とした美しさで魅了する。
 脚本は、「ニクソン」でアカデミー賞候補になったクリストファー・ウィルキンソンとスティーヴン・J・リヴェルのコンビ、多くの資料を携えほとんど史実に基づいた世界を構築した。そのほかに、イギリス映画界で活躍するベテランが顔をそろえている。絵画的だが躍動感にあふれた映像を作り上げた撮影監督、「アルフィー」「カレンダー・ガールズ」のアシュレイ・ロウ。19世紀に存在した素材のみを使い、ベートーヴェンの住居を再現したプロダクション・デザインに「ラヴェンダーの咲く庭で」など手がけらキャロライン・エイミーズ。「年老いたポップ・スター」をイメージしてベートーヴェンの服装を考案した衣装デザインは、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」「プリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12ヶ月」のジェイニー・ティーマイムが手がけている。
 監督は、レオナルド・ディカプリオ主演「太陽と月に背いて」で、世界中にセンセーションを巻き起こしたアニエスカ・ホランド。主人公ランボーと同じく芸術家を主人公に据えた本作では、ベートーヴェンの複雑な人間描写に、女流監督ならではの繊細さを発揮。さらに、コピストをつとめるヒロインのアンナが、ベートーヴェンと互いに尊敬しあい、創作活動を進めていく中、愛と芸術の深淵に触れていく様を、こまやかなエピソードとして丹念に拾い上げ、観るものに深い感動を与えている。
 とりわけ魅力あふれるのは、耳の聞こえないベートーヴェンの指揮のもと”第九”が初演されるシーンだ。耳の不自由さで不安と恐怖を抱えながら指揮台に上るベートーヴェンと、彼から見える位置に座り、テンポと入りの合図を送るアンナ。彼女の指先から繰り出されるリズムが、ベートーヴェンの指先に伝わり、ひとつに解け合ってオーケストラに音楽を奏でさせていく。それが<愛の交歓>に感じられるほど、ホランド監督は、このシーンを官能的な映像で描写、「歓喜の歌」をハイライトにした10分間、映画史に残る名場面に仕立て上げている。

全音楽譜出版社から出ているミニチュア・スコアの解説(諸井三郎氏による)によれば、第九初演のときベートーヴェンとともにもう一人の指揮者「ウムラウフ」は指揮台に立ったとあり、さらに耳の聞こえないベートーヴェンを拍手喝采の聴衆の方へ向けたのはアルト歌手だとある。いろいろな学説があるのだろう。「敬愛なるベートーヴェン」では、アンナ・ホルツもベートーヴェンと並んで重要であるし、HPの解説にもあったように<愛の交歓>に感じられるという描写が秀逸だ。アンナがベートーヴェンのアシスタントをつとめ、その場所がベートーヴェンの横ではなくオーケストラの楽員の間という設定は、ベートーヴェンとアンナが交互に映し出されるため、「息のあった感じ」を表すのに効果的だったといえよう。

ベートーヴェンの時代のオケの弦楽器の配置は 対向配置であったはずだが、この映画ではそうではなかったように思われる。ベートーヴェンはいち早く新しいタイプの配置を取り入れていたのか?
 さすがに20世紀に入ってからのストコフスキーのスタイルを先取りしていたとはあまり思えないが…
でもバルトークを彷彿させるかのような「大フーガ」を書いたベートーヴェンのこと ありえないこともないのかも どこの資料をもとに映画を作成したのかもう少し分かると面白いのだけれど

ベートーヴェンの住んでいた家について
 ベートーヴェンは風呂代わりに、タオルで体を拭いたり(拭いてもらったり?)、バケツ(桶?)の水をかぶったりしていた。体を拭くだけならよいが、水をかぶるとその度にその水が、下の階に流れ、下の階の住人から怒鳴られるというシーンが何度かある。この時代のお風呂(あるいはそれに準ずるもの)って本来はどんなものだったんだろう?毎日のように上の階から水が流れてくるのに耐えられる住人っていたのか???まさかね…

まだまだ続く?