医療費を増やそう

MRIC 12月1日の村上氏によれば、
・効率化はゆっくりしかできないし、そもそもお金が足りないのだから医療に今よりお金を多く分配すべきだ。
・効率化する例としては、「渡り」を減らす方法(例えば家庭医制度の構築)やジェネリック医薬品の普及がある。


今まで足りないお金に対して、「○○を買うための、○○の部分で働いてもらう人を雇うための」お金をどれくらい医療サイドは行ってきたのだろうか?財務省が強すぎて、話を通してもらえなかったのか?それとも働きかけが不十分だったのか?厚生労働省の施策がうまくなかったのか?財務省は一体何にお金を使いたいのか?

国の予算において、使ったあとに「これまで投資した○○の費用対効果は適切だったか」を議論する場はあるのか?

行政刷新会議事業仕分けに仕分け人として参加していたある民間金融機関エコノミストも、著書の中で、「本
来、分業すべき各階層の医療機関に対し、基本的に患者のアクセスを自由にしているため、高度な機能を持つ旗艦病院への集中現象が起こ
る」「『渡り行為』を繰り返す患者に対して、たとえ重複した投薬や処置が行われても、チェックする仕組みは存在しない」「各医療機関
の連携を実現することが、旗艦病院や地域中核病院への負担を減らし、救急搬送の受け入れ拒否を抑止することになるだろう」「政治主導
の下で、各階層の医療機関の役割分担を明確にする必要がある」などと主張している。
 こうした主張にもっともな点が含まれていることは否定できない。私自身同じような認識を持っている部分も多い。さらに、厚生労働省
も同じような問題意識から、かねてより医療機関の機能分化ということを言ってきたのも周知の通りである。

医療にお金が増えることは大歓迎であるが、増えたお金で何をするのがあまり発信されていない気がする。例えば、最初は人材が定着するのに必要な「仕事に見合った人件費」から始めるのか、それともいろんなところで同じ薬をもらわないですむようなシステムを作るのか。どれくらいのオーダーでお金が動くのかを発信すべきである。もらってどうしようかを考えるのではなく、「○○という目標のためにどれくらいお金が必要だからください」と言う要求の仕方は不適切なのか?

お金があればできるけどないからできない。こういうことが続くと普通の会社は倒産する。病院はどうか。「仕事する仲間も減ったが、給料変わらない。だけど働いて欲しい」と言われて働かなくてはいけない義務は医者にあるのか?

そもそも医者は日本で自分が希望する収入と医療現場で働く充実感を両立することを許されていないのか?「ストライキ」、何か医者に似合わないし、患者に泣きつかれたら診ない医者はいないだろうから現実感がないかもしれない。しかし高い技術のわりに高いわけでもない収入でキツイのをNOと言ってもよいのではないだろうか?「アメリカのほうが能力に見合った収入がもらえるしいいや」と優秀な人材が思って日本脱出し始めたら、もはやおしまいだ。「なぜ自分が身につけた技術を日本で生かしたいか?」。「大学教育に税金がかかっているから」は理由にならない。それの理由そのものが日本で働くことに「魅力がない」と言っているようなものである。一つの職業の医師がただの「犠牲」という存在だとすれば、魅力など感じないだろう。

 ▽ 医療全体の底上げの必要性と効率化の要請 ▽

     評論家/元財務官僚  村上正泰

2009年12月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp

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 来年度の診療報酬改定率をめぐる駆け引きが激しくなっている。財務省主計局は(どこまで本気かは分からないが)あくまで医療費の配
分の見直しによって財源を捻出し、全体としては医療費の伸びを大きく抑制しようとしている。しかし、すでに多くの医療関係者が警鐘を
鳴らしているように、それでは現下の「医療崩壊」と言われている状況を解決することはできない。むしろ百害あって一利なしである。
 今の医療現場は、医師不足の深刻化、地域医療の荒廃、救急医療体制の不備、市町村国保の保険料未納率の上昇など、国民が安心して安
全な医療を受けられない状況へと追い込まれている。その最大の原因がこれまでの医療費抑制政策にあることは火を見るよりも明らかであ
る(詳細については、財務省から厚生労働省に出向した時の経験も交えて執筆した拙著『医療崩壊の真犯人』〔PHP新書〕を参照のこと)。
我が国の高齢化率は世界一であるにもかかわらず、総医療費の対国民総生産(GDP)比は国際的に見てきわめて低い。しかも、わが国は国民
皆保険であるにもかかわらず、公的医療費の対GDP比は、公的医療保険が高齢者・障害者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドし
かないアメリカよりも、低い水準に抑えられているのである。冷静に考えてみれば、これがいかに驚くべき事態であるかは誰の目にも明ら
かであろう。
 したがって、現状における喫緊の課題は、拙著『医療崩壊の真犯人』〔PHP新書〕でも繰り返し強調したように、医療費抑制政策からの脱
却であり、医療費を増額し、医療全体の底上げを図ることである。今度の診療報酬改定はその試金石であり、そこには「プラス改定なくし
て医療再生なし」という姿勢が不可欠である。
 こうした点について、医療現場の実情を少しでも知る人の間では、共通認識ができているように思われる。だが、その一方で、多くの国
民の間には、「医療費にも“無駄”があるのではないか」「医療の効率化も進めるべきではないか」「効率化する前に医療費を増やすとい
うのは納得できない」という素朴な声があるのも事実である。そして、医療費にも効率化の余地があることも、これまた否定できない事実
なのだ。
 たとえば、しばしば指摘されるように、ちょっとした風邪や腹痛であっても病院をいろいろ渡り歩き、同じような検査を受けて同じよう
な薬を処方され、結局、服用しないで家の中に薬が溜まっていくというようなことがある。多くの人は周囲を見渡すと少なからずこうした
例が思い浮かぶ。そこで、行政刷新会議事業仕分けに仕分け人として参加していたある民間金融機関エコノミストも、著書の中で、「本
来、分業すべき各階層の医療機関に対し、基本的に患者のアクセスを自由にしているため、高度な機能を持つ旗艦病院への集中現象が起こ
る」「『渡り行為』を繰り返す患者に対して、たとえ重複した投薬や処置が行われても、チェックする仕組みは存在しない」「各医療機関
の連携を実現することが、旗艦病院や地域中核病院への負担を減らし、救急搬送の受け入れ拒否を抑止することになるだろう」「政治主導
の下で、各階層の医療機関の役割分担を明確にする必要がある」などと主張している。
 こうした主張にもっともな点が含まれていることは否定できない。私自身同じような認識を持っている部分も多い。さらに、厚生労働省
も同じような問題意識から、かねてより医療機関の機能分化ということを言ってきたのも周知の通りである。だが、言うは易く行うは難し
で、なかなかそのようには進んでいない。そこには医療の効率化というものの難しさがある。
 公共工事であれば、この道路を造るのを止めるとか、あの橋を造るのを止めるという判断をすれば、事業は完全にストップしてしまうの
で、その分の予算も浮くことになる。もちろんその場合であっても、地域経済への影響や公共交通ネットワークのあり方など、さまざまな
判断材料が絡んでくるが、公共事業を削減しようと思えば(政策判断としての良し悪しは別として)いとも簡単に実現できる。
 しかしながら、医療においては、どこかに無駄があるからと言って、それをすぐになくすということはおおよそ困難である。患者が必要
な医療を求めて医療機関を受診し、それぞれの医療機関において、それぞれの医師の判断の下に必要な治療が行われる。そうした個々の営
みの積み重ねの中で、医療制度全体が運営されているのである。日本は統制経済国家ではない以上、政府の思いのままに患者や医療機関
行動をすべてコントロールすることはできない。実際、これまでも厚生労働省が、診療報酬の点数上、さまざまな政策誘導を行おうとして
きたが、ほとんどうまくいかず、失敗に終わっている。設計主義的に社会の動きをコントロールしようとしても、うまくいかないばかりか
、往々にして弊害の方が多いのである。
 そこで、先の「渡り行為」について言えば、イギリスのGP(General Practitioner)のような形で「かかりつけ医」なり「家庭医」を
制度化すべきではないかという議論も出てくる。私自身も、どこまで厳格に制度化するかどうかは別として、そうした方向での検討が必要
ではないかと思っている。しかし、その場合でも、国民が安心して診てもらえる「かかりつけ医」なり「家庭医」をしっかりと養成してい
くことが大前提となってくる。さらには、地域で医療連携の仕組みを構築することも不可欠である。こうした体制を整備するためには、相
当の年月を要するはずである。決して拙速に実現できるものではない。
 さらに、「渡り行為」の他にも、わが国ではジェネリック医薬品の普及率が低く、もっと普及を促進すれば、その分だけ医療費が抑えら
れるのではないかとの議論もある。しかしながら、政府がジェネリック医薬品を普及させようとしても、一気に普及して医療費が下がると
いうようなことはあり得ない。そもそもジェネリック医薬品の有効性や安全性の確認などの条件整備が必要であり、単に普及しさえすれば
いいというものではないし、本来的に普及には時間がかかるものである。また、一部の公立病院などでは高コスト体質に起因する非効率が
多いと言われている。だからと言って、財政的に締め付けさえすればいいというものではない。地域医療のあり方に関するビジョンもない
ままに財政削減を進めても、地域医療は崩壊するだけである。非効率を是正する一方で、むしろ必要な部分には十分な資金を振り向けてい
かなければならない。
 このように、もちろん医療には効率化の余地があるのは事実だけれども、それは一朝一夕に可能なものではなく、中長期的に時間をかけ
て漸進的に実現すべき性格のものなのである。この点をしっかりと理解しておく必要がある。すなわち、「医療費の効率化を進めてから医
療費の増加を図るべきだ」と言っていると、いつまでたってもなかなか医療費を増加させることができず、その結果、これまでの医療費抑
制政策によって作り出されたひずみを是正することができないままに、わが国の医療制度はますます崩壊の道を転げ落ちていくことになる

 医療費の増加は、医療再生のための十分条件ではないけれども、必要条件である。資源投入を増やさないことには、医療再生などどだい
無理な話である。今、我々にとって重要なことは、中長期的な医療の効率化の道筋を見定めながら、喫緊の対応として、医療費を増額し、
わが国の医療制度を危機から救うことである。決してこの順番を間違えてはならない。冒頭で紹介したような財務省主計局のスタンスは、
その間違いの典型である。次期診療報酬改定においては、むしろ医療全体の底上げを図っていくことが求められているのである。

        ▽ 医師の心が折れる ▽

             虎の門病院泌尿器科
             小松秀樹

         2009年11月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
                 http://medg.jp

                                                                                                                                                          • -

これからは政治主導
鮮度抜群の”産直ネタ”満載
読まなきゃ損する『ロハス・メディカルweb』
http://lohasmedical.jp

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 皆様からのご寄附をお待ちしております!!出産の際に不幸にしてお亡くな
りになった方のご家族を支援する募金活動を行っています。お二人目のご遺族の
方に募金をお渡しすることができました。引き続き活動してまいります。
 周産期医療の崩壊をくい止める会より http://perinate.umin.jp/

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 現場の医師は、1999年以後10年間、安全要求と医療費抑制の2つの圧力の中で
疲弊してきた。過酷な現場から黙って立ち去る医師が目立つ。その中で政権交代
が起きた。

 総選挙では、医師の60%が民主党に投票したとされる。それ以外の40%を含め
て、すべての医師は、民主党政権による予算案作成過程を、祈るような期待と、
医師独特の諦観を含む醒めた心で凝視している。

 祈るような期待の根拠は民主党マニフェストにある。その工程表では平成22、
23年度に「医師不足解消など段階的実施」のために1.2兆円の予算がつぎ込まれ
るとされている。マニフェスト各論の3番目は年金・医療であり、「医療崩壊
食い止め、国民に質の高い医療サービスを提供する」と書かれている。

 醒めた心は、最近の動向に由来する。長妻厚生労働大臣は、11月3日、勤務医
への配分を手厚くすることで、開業医と勤務医の所得格差を解消すべきだと強調
し、医療費を医師の所得問題にした。日本人の感情論は、個人所得に対し、事実
認識と思考を飛び越えて条件反射する。戦国時代の恒常的な飢饉に対応するため
に発生した農村共同体の生存戦略と、享保、寛政、天保の三大改革などの歴史的
積み重ねは、金銭と奢侈に悪のイメージを重ねることを日本人に刷り込んだ。長
妻発言は医療費の抑制圧力にしかならない。

 さらに追い打ちがあった。財務省は、巧妙にも、診療報酬を事業仕分けの中に
持ち込んだ。事業仕分けでは、予算圧縮方向だけの乱暴な感情論がまかり通る。
事業仕分けに持ち込まれる他の案件は、無駄遣いがあると想定された事業である。
ここに診療報酬が持ち込まれたことに、医師は違和感と疑念を覚え、諦観を小出
しにしつつ失望に備える。

 現場の医師は、一義的に、対立を生じやすい医療環境、苛酷な労働条件の改善
を求めているのであって、所得を増やすことを望んでいるわけではない。そもそ
も、70%の病院が赤字である。病院には多様な職種の人たちが勤務する。労働力
の総量が不足している。診療報酬の引き上げで医師の給与が増えるとは思えない。

 開業医は設備投資を自前で担う自営業者である。新型インフルエンザ騒動では
厚労省の不手際に翻弄されつつ、国民のために獅子奮迅の活躍をしている。開業
医の収入を妬む勤務医はいない。

 マニフェストは絶対ではない。未曽有の不況下にあり、国債発行残高は第二次
大戦末期に匹敵する。幸い日本では個人の貯蓄が大きく、租税負担は低い。国民
負担を引き上げる余地が十分にある。国民の不安を解消して経済を回るようにす
るためには、社会保障の充実が必須である。診療報酬を引き上げるためには、い
ずれ増税しなければならない。

 予算案は政権の意思の表現である。長い過酷な医療費抑制から脱したことを医
師に理解させる必要がある。分岐点は医療費が増加に向かうのかどうかにある。
この分岐点は、医師の心が折れるかどうかの分岐点でもある。