「ノーベル賞からみた免疫学入門」よりノーベル賞へのヒント

ノーベル賞からみた免疫学入門

ノーベル賞からみた免疫学入門

コッホは結核菌を発見するために、固形培地培養法や細菌染色法など細菌学の基礎技術を開発した。基礎技術の開発からはじめるということは、自分がその分野のパイオニアということである。職人気質の人ならば、基礎技術も確立していない研究分野に進むのも大きな発見への近道である。

ベーリングは、北里の破傷風の抗血清療法を真似してジフテリアの抗血清療法を開発し、ノーベル賞を受賞した。自分に独創性がないと自覚する人でも、成功したらインパクトのありそうな材料を用いて先人の真似をするのも、大きな発見への近道である。

エールリヒは、先人が訂正的にやった研究を定量的に追試し、抗原抗体反応の原理を理論的に構築し、抗体産生機構に関する側鎖説を提唱した。独創性はないが緻密な頭脳をもっていると自覚する人は未開拓分野に入り、すでに先人が行った研究から理論を打ち立てるのもノーベル賞への近道である。



メチニコフは専門の比較発生学のアプローチで免疫学を研究し、当時異説の白血球の食作用による生体防御機構説を提唱した。学会で孤立してもそれに負けない不屈の精神があると自覚する人は、違う分野の研究アプローチを採るのも大きな発見への近道のひとつである。

ボルデは師の説にこだわらず、より簡単な実験系を考えだして先人の研究を追試し、溶血反応や補体を発見した。自己に独創性がないと自覚する人は、先人の研究を異なる観点の実験系でやり直してみるのも大きな発見への近道のひとつである。

リシエは、毒性実験で休止したイヌからアナフィラキシーを発見した。予想しない実験結果にであったら、何か大きな発見の始まりと考えて、それを追求するのも大きな発見への近道のひとつである。
デールは、麦角からヒスタミンを分離し、その後人の体内でのヒスタミンの役割を明らかにした、自分の研究がほかの分野の研究と関係していないか、広くアンテナを張っておくことも大きな発見への近道のひとつである。


ラントシュタイナーは当時の最新技術である血清学を、いち早く解析手段として取り入れ、種によるタンパク質の相違が個人レベルでもありえるのかという研究課題を追求し、糖鎖の相違に基づくABO式血液型を発見した。新しい解析手段は新しい原理を見出す。新しい解析手段にいち早く飛びつくのも、ノーベル賞への道のひとつである。

セーラーは安全で便利な実験動物モデルがないために行き詰っていた黄熱病研究に対し、本来黄熱ウイルスが感染しないハツカネズミに感染させる方法を見つけて研究を推進させ、ついに黄熱病ワクチンを開発した。
一方エンダーズらはそのとき実現可能なやさしい研究テーマからスタートして技術を蓄積し、それまで不可能だったポリオウイルスの組織培養に成功し、ポリオワクチン開発の基礎を確立した。直接チャレンジするかあるいはそれを念頭にやさしいところから開始するかは別として、成功すれば人類に貢献する難題に対し、技術開発で精力を注ぐのもまたノーベル賞への近道である。

新原理を開発するほどの能力がなくても、文献を調べて、まだ実際に分析に使われていない原理を利用した未完成の分析機器を見つけ、実用化できるまで改良するだけの並外れた粘りと人並みの頭脳があるならば、それもノーベル賞への近道である。開発した分析機器をさらに注目分野の中心課題に応用すればよりノーベル賞に近づくだろう。

探求すべき目標さえ的確ならば、参考文献に類似した実験を行うことにより、ノーベル賞に近づくことができる。ポーターは抗体のトリプシン処理の文献を参考に、パパイン処理によってFabとFc断片を発見し、ノーベル賞を受賞した。
また、目的に適した材料を見つけることは、ノーベル賞への近道である。抗体の構造解析の激烈な競争の中で、遅れてレースに参加したエーデルマンは、抗体分子をいかに均一に生成するかよりも、均一な抗体が存在する材料を探索し、骨髄腫タンパク質を見出してこのアミノ酸配列を決め、ノーベル賞を受賞した。


スネルは、先輩が30年かかっても遺伝解析できなかった課題を、近交系マウスを樹立して問題の遺伝子の基本的性格をつかんでから、連鎖する遺伝子をメルクマールに遺伝解析して解明した、複雑な課題の場合は、「急がば回れ」のたとえどおり、研究材料をシンプルにし、基本的性格をつかむのもノーベル賞への第一歩である。

子供の頃からの関心事である過敏症の機序を解明したいという情熱を持ち続けたベナセラフは、個体差による値のばらつきをそのままで終わらせず、個体差の追究を行い、免疫応答遺伝子Irを発見してその役割を明らかにし、ノーベル賞を受賞した。情熱が、ばらついた実験結果から真理を洞察する眼を育てる。人生の中から情熱を注ぎ込みたい研究課題を見つけるのも、ノーベル賞に近づく道のひとつである。

ドハティは前任者からマウスのリンパ球性脈絡髄膜炎(LCM)ウイルス実験モデルを引き継ぎ、クロム51放出試験による細胞障害活性測定技術を修得したツィンカーナーゲルと共同研究することにより、キラーT細胞の細胞障害活性にMHC拘束性があり、キラーT細胞が標的細胞の自己と同じMHCとウイルス抗原の両方を同時に抗原認識して活性化され、標的細胞を破壊するという「単一認識仮説」を提唱し、ノーベル賞を受賞した。研究課題のための実験系を持つ人は、その研究課題の解析に必須の技術を持つ人と共同研究することにより、ノーベル賞に近づく。

ドーセは多くの抗白血球抗体から共通の特異性を持つ抗体を見つけ、この抗体の存在から白血球に特異抗原が存在することを示した。その後、多くの研究者が発見したいろいろな白血球抗原を知り氏、白血球抗原が少なくとも2つのグループにわかれることを示し、各グループ内の白血球抗原の相違が組織適合を決めるというHLAの組織適合複合体を提唱し、ノーベル賞を受賞した。見かけは複雑でも、そこに働いている自然原理はシンプルである場合が多い。いろいろなデータがでて混乱したときは、全体を見通し、より簡単に整理する目を持つことがノーベル賞への道である。

メダワーは戦時下に皮膚移植の拒絶反応解明という専門以外の研究を依託され、移植免疫の世界に入った、そのときの経験を生かして、移植皮膚の拒絶の有無でウシの一卵性双生児と二卵性双生児の区別を試みたが、二卵性双生児間でも移植皮膚が生着し、区別できないことを知り、当初の目的には失敗したものの後天的免疫寛容の発見へと研究を進めた。予想と異なる現象はノーベル賞への道の入り口である、ノーベル賞への入り口か迷路からの入り口は、データからどれだけのことを読み取れるかによる。



ヒッチングスは、核酸誘導体を用いた化学療法剤の開発研究を行い、6-MPやアザチオプリンを開発し、ノーベル賞を受賞した。企業人も独自の発想で開発すればノーベル賞へ近づくことができる。一方エリオンはヒッチングスの構想の下でそれを具体化して、総説以外はほとんどすべて自分がファーストオーサーで発表し、ヒッチングスとともにノーベル賞を受賞した。研究リーダーでない場合、ファーストオーサーにこだわることがノーベル賞に近づく道かもしれない。

マレイは一卵性双生児の皮膚片が生着するという文献をヒントに、一卵性双生児間の腎臓移植に成功した。次に6-MPによる免疫抑制の分権を読み、6-MPの開発者と組んで免疫抑制剤を開発し、一卵性双生児間以外の腎臓移植にも成功してノーベル賞を受賞した。同様にトーマスもマウスに関する放射線商社後の骨髄細胞移入の文献をヒントに、一覧性双生児間の骨髄移植に成功した。次にメトトレキセートがマウスのGVHDを改善するという文献を参考にして、一卵性双生児間以外の骨髄移植にも成功してノーベル賞を受賞した、臨床医は非常に忙しく日々の診療に埋没しがちである。しかし、基礎医学を文献でフォローできるだけの熱意を持続できれば、容易にノーベル賞に近づく。

E.Donnnall Thomas(1920生まれ)1990年度ノーベル生理学・医学賞受賞

ポーリングは、生まれたばかりの量子力学を留学でものにして、これを用いて炭素結合、共役二重結合、アミノ酸、ジペプチド、鋳型説に基づく抗体産生機構メカニズム、抗原抗体反応メカニズム、タンパク質の構造モデルなどを提唱し、ノーベル賞を受賞した。例外的に頭に特別自身がある人は、新しい学問に飛びついて、それをほかの分野で応用するのもノーベル賞への近道である。

レーダーバーグは、変異株が野生型に高頻度に復帰するという現象を観察して、いろいろな場合を想定・解明して、大腸菌の性因子による遺伝子組み換えやネズミチフス菌での形質導入を発見し、ノーベル賞を受賞した。抗体産生機構に関していろいろな場合を想定し、正しい仮説を提唱した。ひとつの実験結果についていろいろな解釈をする訓練をし、その解釈の正しさを証明するために一番適した実験材料は何かを知る情報収集能力も、ノーベル賞受賞には重要である。

アンフィンゼンは、還元膵臓リボヌクレアーゼを水素結合が形成可能な条件で再酸化すると、酵素活性のある天然型の高次構造が復元することから、高次構造がアミノ酸配列によって規定されることを提唱した。また、ノーベル医学研究所にセミナーに行き、あるいは王族のNIH訪問に際し、案内役をかってでて研究成果の重要性をPRし、ノーベル賞を受賞した。重要な基本原理を証明することは当然必要であるが、その原理の重要性をノーベル財団に認識させることもノーベル賞に近づくために必要である。

バーネットはウイルスに関して多くの業績を残したが、ノーベル賞受賞に値するほどではなかった。そこで、いわば余技として他人のデータを取り入れた抗体産生機構の理論を展開し、クローン選択説に到達した。そしてその理論の基礎となった後天的免疫寛容を実験的に再現したメダワーとともにノーベル賞を受賞した。あなたに実験よりも理論展開の能力があるならば、他人のデータを用いて理論展開してみるのも、可能性は低いけれどもノーベル賞への道かもしれない。


イエルネは物理学を2年専攻後、医学部に進路を変えた。学位を習得したのは40歳、初めての留学が43歳、学者としては非常に遅いスタートである。抗体産生機構に関し、留学で知った当時流行のポーリングの抗体産生機構理論に対し、自然選択説を提唱したり、ノーベル賞を受賞したバーネットのクローン選択性の1クローン複数抗体産生説を否定し、1クローン1抗体産生を実証したり、クンケルの抗体を抗原とする抗体産生実験をヒントにイディオタイプネットワーク説を提唱し、ノーベル賞を受賞した。あなたが理論展開に強いなら、確立された主要理論を否定する実験を行い、それに代わる理論を展開するのが、若くないあなたにとってノーベル賞への最後のチャンスかもしれない。

ヤローはキュリー婦人に憧れ、核物理学を専攻して博士号を取得し、母校の助教授になった。しかし家事との両立のため、近くの病院の放射性同位元素施設に転職し、内科医と組んで、測定上の必要性から放射性同位元素を用いて微量成分を定量するRIA法を開発し、ノーベル賞を受賞した。最初の志とは異なる他分野に転職しても、自分の専門分野に近い知識を活かして課題解決にチャレンジすることが、純粋のアカデミズムより早くノーベル賞への課題に遭遇することがある。要は気の持ち方である。


複数の知見を洞察してひとつのアイデアに到達すれば、画期的な成果があげられるかもしれない。バーグはそれまで明らかにされた制限酵素のよるDNAの特異的な塩基配列の切断技術と、ファージの両末端の試験管内結合技術、DNAを細胞に入れる形質導入技術を用いて遺伝子操作技術を考案し、ノーベル賞を受賞した。

その分野の重要物質の分析法を確立すれば、大きな発展がもたらされる。つまり、重要物質の分析法が確立していない分野を手がければ重要な研究ができるチャンスが大きい。サンガーとギルバートはDNAの塩基配列決定法をそれぞれ独立に開発しノーベル賞を受賞した。

独創性がなくても、ひとつの技術に習熟し、その応用を考えればそこに独創性が生まれる。スミスはオリゴヌクレオチドの二重螺旋形成の安定性の研究を続け、その応用のひとつとして位置特異的変異誘発法を開発し、ノーベル賞を受賞した。

必要は発明の母である。研究上の不便さを感じたら、しめたと思うべきである。すでに知られている技術を改良することでも、ある研究分野の飛躍的な発展をもたらすかもしれない。マリスは微量DNAの塩基配列決定が必要になり、サンガーのジデオキシ法を改良しようとして、結果的に2種類のプライマーを用いることによりDNAを連鎖的に増幅させるPCR法を開発し、ノーベル賞を受賞した。

ある技術を獲得したら、別の分野に移り、その技術を使うほうがより重要な研究ができるかもしれない、その場合、研究テーマを選択する判断力、開発されたばかりの技術などを誰よりも早く適用するというスピードも大切だ。利根川進はRNAとDNAとの二重螺旋形成技術を免疫学に適応して、免疫グロブリン遺伝子がDNAレベルで再編成されることにより多様性を獲得するメカニズムを解明し、さらにT細胞受容体にも適用して1987年度ノーベル医学・生理学賞を受賞した。

ミルシュタインはサンガーら、他人が開発した技術を使って抗体の多様性機構を解明しようとしたが、抗体が多様すぎて解析できず、均一な抗体は存在しても、それと特異的な抗原がわからなかった。そこで自分で特定の抗原に特異的な均一の抗体を作製することを考え、それに成功してノーベル賞を受賞した。必要は発明の母である。既存の技術を駆使して競争に勝つことは至難のわざである。むしろ、研究テーマに必要な技術を開発するほうが、競争者が少なく、ノーベル賞への近道である。


ケーラーはモノクロナール抗体作製に必要な諸道具がそろったときに、タイミングよくミルシュタイン研究室に留学し、短期間でモノクロナール抗体作製法をものにした。大学院在学中は外部講師のセミナーに積極的に参加して、博士研究員としてノーベル賞級の研究ができる研究室はどこかを見極めるのも、ノーベル賞への近道である。

疫学的方法だけでは単なる推測に終わるが、その推論に基づきアクションをとることにより推論の正しさが推定される。さらに、推定される機序を実証すればノーベル賞に近づく。プランバーグは血清タンパク質の多型性の疫学からスタートし、紆余曲折の末、水平感染と垂直感染する肝炎とAu抗原陽性との相関性を見つけ、Au抗原陽性者の血液を輸血から除外することにより輸血に伴う水平感染による肝炎発生率を劇的に減少させた。さらに肝炎ウイルス保持者から出産した新生児にAuワクチンを接種することにより、出産時の母子間の垂直感染による肝炎発生率も減少させた。そのうえ、Au抗原の垂直感染による原発性肝がんの発生機序まで推論し、ノーベル賞を受賞した。

疫学調査は確立した学問体系に合わない結果をもたらす場合が結構ある。そのとき勇気を出して、従来の学問体系と合わずとも調査結果に忠実な仮説を立て、それを証明できればノーベル賞に近づく。ガイジュセクはクールー病の原因を疫学調査によってつきとめ、死者の納所組織を調べた結果、病原体が核酸を欠く自己増殖性の膜断片らしいと考えたが、核酸の存在を否定しきれず、潜伏期のきわめて長い進行性のスローウイルスとして発表し、ノーベル賞を受賞した。一方、プルジナーはスクレイピーの株を研究材料にして、スクレイピーの病原体を精製し、その物質を感染性のタンパク質プリオンとして発表し、多くの批判におそれず、プリオンが病原体であることを証明してノーベル賞を受賞した。